こんちは。
本日はタイトルにもある通り、『ら抜き言葉』について。
特に現代っ子には身に覚えがある内容となっておりますので、少し長いですがお付き合いください。
ら抜き言葉とは…いわゆる「ら抜き言葉」とは可能の意味の「見られる」「来られる」等を「見れる」「来れる」のように言う言い方のことで,話し言葉の世界では昭和初期から現れ,戦後更に増加したものである。
(文化庁)
https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kakuki/20/tosin03/09.html
僕ぐらいの世代間だと確かに、ら抜き言葉ってめちゃくちゃ使われてるよなって思いました。
明日来れそう?
なんて相手の予定聞くときとか使いませんか?
これ正しくは、
明日来られそう?
僕だと後者の方が違和感あるのですが、"来れる"は現代で使われている代表的なら抜き言葉だそうです。
では、このようになった経緯はなんでしょう。
そもそも"られる"という助動詞は"〜することができる"という可能の意味を持ち、それが語呂やリズム、意味合いの関係で、"ら"を抜くようになったというのが"ら抜き言葉"の始まりだそうです。
昭和初期には"ら抜き言葉"が出現していたとかしていないとか。
もう少し掘り下げてみます。
助動詞である"られる"は、可能、尊敬、受け身の3つの意味を持ちます。
・明日、給食でカレーが食べられるぜ〜(可能)
・昨日、上司がこちらに来られた(尊敬)
・彼にコンビニにいることを見られた(受け身)
文脈を見れば判断できますが、文がもっと短かったり、動詞単体で見たときに判断がつきにくいと思います。
その中で、可能と他の二つの判断をしやすくするために、"ら抜き言葉"というのが生まれたということです。
・明日カレーが食べれる。
となっていれば可能と一発で分かる私は現代っ子です。
○何が"れる"で、何が"られる"なのか?
それを説明するには、高校国語を思い出す必要があります。
少し説明しますね。
動詞は、五段活用とか下一段活用など、活用を変化させながら会話や文面で使用されます。
めちゃくちゃ懐かしい!
よくわからず暗記した記憶あるけど、振り返ると正しい日本語を書いたり、話すためのものだったのね🥺
幸い少し覚えていたので、スッと入ってきました。笑
この中で大事なのは、五段活用の未然形です。
未然形とは、"ない"という打ち消しの意味をもつ形ですが、各動詞を未然形にしてみてください。
例えば、
・読む…読まない
・食べる…食べない
・見る…見ない
この"ない"の直前の文字が"ア段"だったら五段活用動詞となります。
ちなみに、"エ段"は下一段活用、"イ段"は上一段活用。
この中で五段活用動詞が、"れる"、それ以外が"られる"となります。
例えば、
読む⇨読まない⇨"ま"はア段⇨五段活用⇨"れる"⇨読まれる
食べる⇨食べない⇨"べ"はエ段⇨下一段活用⇨"られる"⇨食べられる
こんな感じでどうでしょう。
ちなみに現在も、"ら抜き言葉"は誤りとされております。
その他、"話しています"なのに、"話してます"と使われる、"い抜き言葉"などもあるようです。
よく使ってるわ〜😂
正しい日本語を書くことは翻訳者にとって大切なことなので、わからなくなったときはこのように判断していきたいものです。
ちなみに僕は、可能の表現をしたい場合、"することができる"という少し長めの表現にして、読み手が混乱しないようにしています。
話し言葉優先の現代っ子は特に混乱するのではないか(僕だけかも笑)と思います。
書き手が理解できているのは当たり前なので、少しでも読み手が読みやすいようにしていきたいです。
お付き合いありがとうございました〜。
鏡味
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