教えたがりな人たちと最近の翻訳

こんちは。

久しぶりの更新です。

もはや年内100本は無理だけど継続することが大事だと思っている←

優しさとお節介の線引きってどこや?


って考えることがあるんですけど、みなさんはどうですか?

SNSで個々の思いを自由に発言できるようになった今、相手の表情が見えない中で自分の発言には一層気を遣わなければいけない時代になりましたね。

スマホは生活の利便性を高めましたが、不要な詮索までできるようになってしまって、なんだかストレスが溜まることも多くなったような気がします。

世の中には知らない方が幸せなことだってあるのよ←

情報過多の中で、取捨選択をせねばなりませんが、ときにはその中に心無い言葉が混ざっていることがよくあるのです。

精神が少々ナイーブな我々ゆとり世代は、傷付くような情報まで全て回収してしまうため、病んでしまうのです(それわたし)

しかし問題なのは、その心無いと思われる言葉を投げかけた人に、悪意がないこともあるということです。

むしろ視点を変えれば相手を思って寄り添っていると言っても良いときもある。

でも字面だけでは、そんな感情までは読み取れないわけだし、その中で"意見の違いを受け入れて"とか言われても、は?ってなるわけです。

そういうのを一般的に"価値観の相違"って言うのだと思いますが、リアルライフであれば、もう会わないなど、距離を置くと思うんですね。

一方でリアルライフとは反対にデジタルライフでは、ズカズカと相手のテリトリーに入り込んで、優しさともお節介とも取れるような言葉たちを投げることができるんですよね。

ここで、昔あった一つの例を紹介しよう。

わたしは、自分のプール指導の仕事のために、"ヘタに"泳ぐ練習をよくします。

嫌味か!とか言われそうなんですけど、ヘタに泳ぐことによって、ここをこうしているから、こうなるんだな、ならばこう変えようとか自分の中で閃きが生まれるんです。

そこで、ヘタに400mぐらい泳いでいたら、隣で泳いでいた50代ぐらいのおじさまが

"そんな泳ぎしてたらうまくならんよ"


って。

🤔

"わかっとるわい!あえてそうしとんじゃ!"

とは言いませんが、おそらくそのおじさまは、わたしにもっと速くなってほしくて、あえてネガティブな言い方をしたのでしょう(しらんけど)

この状況から何がわかるかというと、『心の距離感は徐々に詰めようね』ってことなんです。

いきなり見ず知らずの人に、そんなんじゃだめだとか言われたら、誰でもムカッとするわけだし、こっちは日本選手権5位までいっとるんじゃ、俺の何を知ってんだバカヤロウってなるわけです。

発言者の方の気持ちも当然わかります。

相手のことを思って、いてもたってもいられず、声をかけたんですよね。

でもよく考えて。

言われた側は、『そんなん知らんがな』状態なのよ。

なんでよく知らない人のそんな心情まで読み取らなあかんの状態。

SNSでもそういったやり取りはよく見かけるのです。

心の距離が縮まりにくい世界なのだから、リア友のように発言をしていたら、知らずのうちに人を傷つけていることはある。

そして相手の顔が見えないから、傷つけているのもわからない。

親しき中にも礼儀ありだけど、親しくない中には礼儀しかないのよ。

これ今日のパワーワードね。

表現の自由を振りかざすのではなく、よくよく考えて発言しよう。

こういう時代だからこそ心の距離感についてわたしも含めて、再考しなければならないな〜というお話。

言わぬが仏、能ある鷹は爪を隠す、なのよ。

と、前置きが少々長くなってしまったので、最近の仕事事情についてチラッと。

大型25,000の締切が来て、解放された〜と思ったら、その日に24,000がきました(ブルブル)

只今体力ゲージ0.05ぐらい(100のうち)

成長はしているので、このまま頑張ります。

こっちの話をメインにしたいんだけど、書くことなくていつも前置きメインになってしまうのどうにかして←

ばいばーい

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鏡味

ATB S&E

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